備忘録とときどきつぶやき@シンガポール

2018年から夫の赴任に伴いシンガポールで生活しています。日々感じたことや体験したことを綴っています。

志乃ちゃんは自分の名前が言えない

最近、2018年に公開された「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」を観ました。

 

私は普段漫画を読まないので、この映画の原作が押見修造さんという方の漫画という事も知りませんでした。当然内容も知りません。

 

どんな映画なのか全く情報を持たない中でも、映画を鑑賞する前から、このタイトルで主人公が何故自分の名前が言えないかピンときました。

 

私も自分の名前が言えないからです。

 

映画ではあえて志乃ちゃんが自分の名前が言えないその正体について、明確にワードとして出てきませんが、志乃ちゃんは吃音で悩んでいるのだと思います。

 

私も吃音で悩み、自分の名前すら言えない場面があります。

 

吃音の出る人は人口の1%と言われています。

数少ないが故、どうして喋れないのか周りから理解されず、時にはからかわれ、時には指摘され、時には変な空気を作ってしまうことが多くの場面で起きます。

 

吃音を理由に仕事で悩み自殺された方もいます。

 

社会と関わるということは、自分という人物を発信しなければいけないことです。

そしてそのツールは主だって「話す」ということを通して行わなければなりません。

吃音により、「話せない」「言葉が出ない」時の周りの反応がたまらなく辛いのです。

そして「ちゃんと話せない」自分に悔しくなるのです。

 

映画の中で志乃ちゃんは担任の先生から「名前くらい言えるようになろう」と励まされます。

しかし、これほどきつい言葉はありません。

吃音の出る人は「自分の名前だからこそ」言えなくて辛いのです。そして何で言えないのか本人すら分からず苦しんでいます。

 

映画を観ながら志乃ちゃんを自分に重ねて涙が止まりませんでした。

 

でも志乃ちゃんは前を向いていきます。そんな志乃ちゃんに沢山の拍手を送りたくなりました。

 

映画としてもとても素敵な映画でした。

そして原作の漫画も読みたいと思います。

(原作者の押見修造さんも吃音で悩まれ実体験をもとに描かれているそうです)