チリクラブを飲茶で@レッドハウス
先週まで一家でダウンしてたものの、今週は活動できるようになってきた矢先、息子がまさかの中耳炎に…😫
まだまだ今週、来週も病院通いが続きます。
ちなみに耳鼻科は日本人医師のいる病院でラッフルズホスピタルしかないので、ブギスまで行っています。
せっかくブギスまで出てきてるのだからと、前から気になっていたブギス近くのレッドハウスでランチしようと思いつきました。
チリクラブというとジャンボが有名ですが、レッドハウスも味には定評があります。
チリクラブを食べたことがある方なら分かると思いますが、チリクラブってある程度の人数で特別なシーンがある機会がないと中々食べに行かないものです。
(私も両親がシンガポールに来た時にアテンドして初めて食べたきりです)
レッドハウスはランチでチリクラブの餡が入った飲茶を頂くことができるので、気軽にチリクラブを堪能することができるのです!
ちなみにそのチリクラブの飲茶がこちら↓
今回はブギスから来ましたが、ブギス駅からだと20分くらい歩きます。
ビクトリアストリートを南下し、ミドルロードを右折して10分くらい歩き、プリンセプストリートを左折してしばらく歩くと着きます。
実際は Dhoby Ghaut 駅や Bencoolen 駅から徒歩5分前後で行けるので、直接お店に向かう場合はブギスからじゃない方が楽です。
住所 : 68 Prinsep Street, Singapore 188661
電話 : 6336 6080
営業時間
月~金
11.30am – 2.30pm (last order at 2pm)
5pm – 11pm (last order at 10.30 pm)
土日祝
11am - 11pm (last order at 10.30pm)
今回注文したのは
・チリクラブバン
・春巻きロール揚げ
・炒飯
・マンゴーサゴ
皮が黒いのは竹炭を練りこんであるからだそう。とても美味しかったです。
あぁ、チリクラブの味だ…と感激しました。
そして、ついでに注文した春巻きロールがとても美味しくて!中身がエビのすり身だったのですが、春巻きのパリパリとした食感と相まってお箸が止まらない…
炒飯もシーフードたっぷりで美味しかったです。
マンゴーサゴは写真撮り忘れました💧
他の飲茶もトリュフ餃子など気になるものがあったので、また絶対に来ようと思います💕
余談ですが、レッドハウスに向かう途中、ミドルロードで面白いものを発見しました。
まさかのサーモン専用自販機…(爆)
ちょっと気になるから今度買ってみようかな。
ジュロンイーストのアウトレットに行く
先々週に息子から家族に風邪がうつり、とりあえず一周してそれぞれが元気になったのが先週の金曜日。インフルではなくて良かったですが、それなりにキツかったです(人にうつしておいて復活して元気いっぱいの息子を横目にうなだれている間が辛かったです)。
せっかく元気になった週末、GSS(グレートシンガポールセール)も終盤を迎えるので、ジュロンイーストにあるアウトレットモールのIMMへ行ってきました。
IMMへの行き方
MRTの緑の線のJurong East駅から行きました。
駅から10分くらい離れています。駅からJ-Walkを歩いて行くと着くようになってます。
Westgateの建物の中を通って行くとわかりやすいです。
余談ですが、夫がJ-WALKて歌手いたよね?って話をされて、私はピンとこなかったので、後でyoutubeで代表曲の「何も言えなくて…夏」を聞いたら、
やっぱりピンとこなかった。
1階
Giantという、かなり大型のスーパーがあります。お惣菜の売ってないコストコみたいな感じです。
独立記念日が近いので、国旗をモチーフにしたTシャツが沢山売ってました。
私は去年の独立記念日は体験してないので、Tシャツ着てお祝いする人もいるのでしょうか。
フルラやケイトスペード、コーチなどは行列が出来ていました。
2階
息子が大分成長したので洋服を買い足しに。実はシンガポールに来て息子の服を買うのは初めてです。
Tシャツ2枚とズボンを2着買いました。男子なのでテンションも上がらず、とりあえず買った感じです。
Communeというインテリアショップがありました。
ゆっくり見たかったのですが、息子が走り回り、花瓶やら割らないかヒヤヒヤして押さえつけていたので、全然見られませんでした…orz
3階
今回は行かなかったのですが、3階の屋外には無料のプレイグラウンドとプールがあります。
息子がずーっと騒いでうるさかったので、こちらで少し遊ばせておけば良かったなと後悔…。
まとめ
セール期間中でなければそんなに混んでもなさそうなので、子連れで行くにはいいスポットだと思います。
ただし、全体的に知らないブランドばかりだったせいか(息子がうるさかったのもあり)、あまり買いたいものも見つかりませんでした。
どなたかのブロガーさんが紹介していたMM6の入っているDesigner Pop Upというお店がなかったのが個人的には残念でした💔
今度は国境を越えてマレーシアのジョホールバルのアウトレットに行って見たいなと思います。
シンガポーリアンはフレンドリー
今日はブギスプラスというMRTのBugis駅から程近いショッピングモールへ行きました。
1階にThe Editor's Market というシンガポールのドメスティックブランドがあります。
デザインも洗練されていて生地も縫製もしっかりしているのに、商品の殆どがS$50以下なんです(本当にオススメです!)。
内田理央さんもInstagramで紹介していたそうです。
しかもここのお店、購入する点数が増えると更に安くなって、2点、3点と増えるごとにS$5くらいどんどん安くなるんです。
たまたま素敵なワンピースを2点見つけたので、買おうとレジに並んでたら…
シンガポーリアンの若い女の子から、
「一緒に買いませんか?」と提案されました (・Д・)
最初面食らいましたが、私も更にお安くなるし、win-winかなーと思ってその提案を受け入れて一緒に買いました。
そしてお店の人も、「あー一緒に買うのねー了解。」みたいなノリで普通に接客されました(爆)
私はシンガポール人の知人がいないので勝手な印象ですが、
シンガポーリアンって関西人みたい(いい意味)って思ったんです。
バスの中やタクシーの運転手さんや街中でもシンガポーリアンてフレンドリーな人が多い気がします。
今日の若い女の子を見て更にそう感じました。
話は変わりますが、このモールの中にあるラーメン屋さんでカキ氷を食べました。
ほうじ茶カキ氷
ストロベリーチーズケーキカキ氷
※主人のタイミルクティーカキ氷は写真撮り忘れました😫
以上ただのつぶやきです。
プラナカン雑貨を使ったシノワズリなインテリアパネル
この前チョーさんのお店で買ったプラナカンのスプーンを使って、インテリアパネルを完成させました。
プラナカンのスプーンを使って作ったのが、下の写真のインテリアパネルです。
こちらはシンガポール在住のカルトナージュの先生のお宅に伺って作りました。
プラナカンのスプーンに合わせて、シノワズリな柄の生地でインテリアパネルを作成。
タッセルも手作りで、少しシノワズリを意識してブルーベースで作りました。
カルトナージュは日本にいた時に自己流で作っていましたが、やはり先生ってすごい!って感動しました。
そしてシンガポール在住の先生だからこそ、シンガポールらしさを意識したアイデアをいただき作ることが出来ました。
自己流でやってただけではこのような作品は作れなかったです💕
シンガポール生活の思い出になります。
先生ありがとうございました😊
シンガポールの歴史を学ぶ@シンガポール国立博物館
シンガポールは8月9日のナショナルデー(独立記念日)に向けて、お祝いムードが漂っています。
シンガポールに住んでいる今、独立記念日を前に改めてシンガポールが辿っていった歴史を学ぶために、シンガポール国立博物館に行きました。
シンガポール国立博物館
シンガポール国立博物館はシティ・ホールにあります。
今回はMRTのCity Hall駅から歩いて行きました。
国立博物館は旧館と新館から成ります。
旧館はラッフルズホテルと同じネオパラリアン様式の豪華な造りです。
旧館は中に入ると、天井のステンドグラスが印象的です。
スタンドグラスの数は50枚あります。
これはビクトリア女王在位50周年を記念して50枚はめ込まれたと言われています。
シンガポールの歴史
テマセク時代
シンガポールの土地には、人々が数千年前から住んでいたと言われていますが、1番古い資料は14世紀のものになり、当時この土地は「テマセク」と呼ばれていました。
住人は主に漁協で生計を立てていましたが、地理的条件により、様々な国の船舶の寄港となり栄えたとされます。
シンガプーラ時代
テマセクと呼ばれていたこの土地がシンガプーラと呼ばれるようになったのは、諸説ありますが、ビンタン島から上陸したサンニラウタマ王子が見たものに由来すると言われています。
王子が見たものを尋ねると、ライオンだったそうです。
それからライオンを意味する「シンガ」と、町を意味する「プーラ」を繋げて、この土地をシンガプーラと呼ぶようになりました。
フォートカニングの丘は高貴な方しか立ち入れない、forbidden hillと呼ばれ、お宝が発掘されています。
それから五代続いた王朝も滅び、数百年の間、外に知られることはなくなりました。
ヨーロッパによる侵略と植民地支配
イギリス~インド~中国の三角間貿易の途中拠点として、1819年にイギリス人のスタンフォード・ラッフルズがシンガポールに目を付けました。
ラッフルズは東インド会社に就職後、ペナンに駐在。シンガポールと自由貿易協定を当時のスルタンと結びました。
この当時にシンガプーラを英語風に改名し、シンガポールと呼ぶようになりました。
ちなみに世界最大の花のラフレシアを見つけたのもラッフルズと言われています。
ラッフルズは通算10ヶ月ほどしかいませんでしたが、帰国する時に中華系の人から豪華なプレゼントをされたとされています。
その後はウィリアム・ファーカーという人物が駐在していました。
それからシンガポールの土地はマレー半島と共にイギリスの植民地となります。
フォートカニングの丘に白色人種が生活し、下に有色人種が住む図式がこの頃から既に出来上がりました。
白色人種が人種によって住む所を決めた名残りが、現在のチャイナタウンやリトルインディアなどに残されていると言われています。
労働者は劣悪な環境で働かされ心身共に疲弊し、アヘンに手を出していました。
アヘンも純度の高いものではなく、身体に悪影響を及ぼします。
そのような衛生の悪い当時のシンガポールにおいて、イギリスに留学経験のあるリムブンケンというプラナカンが、改善するべく衛生向上に尽力しました。
また、英語で高等教育を受けた知識階級の華僑、インド系なども生まれました。
日本軍による占領
パールバーバーと同日、シンガポールでも日本軍の攻撃に遭いました。
海側から侵略してくるというイギリス軍の予想に反し、日本軍は自転車や小型軍用車で、マレー半島から南下して攻めて来ました。
連合国のイギリス軍は敗れ、降伏宣言をしました。この時交渉したのが「マレーの虎」と呼ばれた山下中将です。
イギリス軍の降伏後、シンガポールは「昭南島」と言われ、日本の支配が始まります。
シンガポールは中華系が多かったため、中華系シンガポール人の反乱を恐れた日本軍は、15歳以上50歳以下の男性の中華系を収監し、反日分子と判断された人は虐殺されたとされます。
正確な犠牲者の数は不明ですが、日本の調査では5〜6千人とされています。
しかし、実際には2〜3万人が犠牲となったのではないかと言われています。
戦後の独立
日本敗戦後、イギリス軍が統治してくれると期待していたが、実際はそうではなかったと言います。物資は少なく、医療も受けられず暗い時代となりました。
アフリカ独立などの動きもあり、自分たちで独立を目指すようになります。
1961年リー・クアインユーがマライア連邦(マレーシア)と一緒に独立を目指しました。
しかし、マレー人の多いマレーシアと、中華系の多いシンガポールでは政策が合わず、1965年、マレーシアから切り離される形での独立宣言となりました。
リー・クアンユーにとっては不本意な形の独立となったのです。
独立後のリー・クアンユーの政策は凄まじいものでした。
自国の通貨を作り、18歳以上は徴兵制も制定。
西部のジュロンに工業地区を作りました。
また外国企業からの投資を呼び込み、現在のような発展を見せたのです。
戦後緑地は7%しか残っていなかったとされています。現在のような緑豊かなシンガポールはリー・クアンユーが尽力し人の手によって緑化されたものなのだそうです。
昔のイギリスの政策によって民族ごとに居住エリアを分けられていましたが、現在シンガポール人のほとんどが暮らすHDB(日本の公団なような建物)では、人口に占める人種の割合に応じて、入居する割合が決まっているそうです。
日本占領時期死難人民記念碑
シンガポール国立博物館を出た後、MRTのCity Hall駅に程近い場所にある日本占領時期死難人民記念碑に向かいました。
戦時中に犠牲に遭われた人々を思い、手を合わせ黙祷しました。
シンガポール国立博物館で沢山の事を知ることができて本当に良かったです。
シンガポール訪れる方には是非行って欲しいと思いました。
平日の10:30から、日本人のボランティアの方による無料ガイドツアーがあります。
是非利用してみて下さい。
ムスタファセンターとドン・キホーテ
ムスタファセンター
この前ムスタファで買ったアルフォンソ・マンゴーの最後の一個を今朝食べ終わり、ふと「やっぱりまた食べたい…」と思ってしまい、
気付いたらムスタファセンター 行ってました。
アルフォンソ・マンゴーは今…
え、
ええ、、
えええ、、、
もう、なかった(泣)
当たり前だよね。
だってわざわざウィキで調べたもんね。
6月中旬でシーズン終わるって。
でも、ムスタファセンターなら独自のルートで何とかしてくれてるんじゃない?って期待しちゃったよね。
でもさすがのムスタファセンターでももうありませんでした。
※2019年7月8日現在
マンゴーいっぱい
アルフォンソ・マンゴーと入れ替わるように、色々な種類のマンゴーが並んでいたので、違う品種のものを1個ずつ、合計3個買いました。
ムスタファセンター は、量り売りのものはビニール袋に入れて、それをそれ専用のレーンでバーコードの付いたシールを貼ってもらいます。
マンゴーの品種によって値段も微妙に違うのに、マンゴー見ただけで品種が分かるんだー!さすがインド人!ムスタファセンター !って感激してたら…
売っていないはずのアルフォンソ・マンゴー買ったことにされてる(爆)
なんかいちいち言うのが面倒だったので、そのままお会計レジに向かいました。
これが本物のアルフォンソ・マンゴーだったら良かったのにな…
パキスタン産のマンゴーをアルフォンソ・マンゴー価格で買っていきました。
ドン・キホーテ
そういえばファラーパーク(ムスタファセンターの最寄駅)にドン・キホーテ出来たことを思い出し、ドン・キホーテへ行きました。
ムスタファセンターと目と鼻の先のシティ・スクウェア・モールの地下2階にあります。
エスカレーターで地下2階に向かうと…
ワンフロアになってます
オーチャードやダンジョンパガーの店舗と違い、生活用品と食料品がワンフロアに陳列されています。これは便利ですね。
他の2店舗より生鮮食品の品揃えが良い印象です。
店内も広く、買い物しやすいように配慮されています。
やっぱり焼き芋人気
何故かシンガポールでは、ドン・キホーテの焼き芋がローカルの人に受けています。
お目当てのアレが…
私はドン・キホーテでいつもエブリバーガーを買いだめします。
息子はこれがないと、本当に機嫌が悪くなるからです。
しかし、残念ながらファラーパークのドン・キホーテにはエブリバーガーは売ってませんでした😵
しょうがなく見た目と成分が似ているこちらを買いました。
幼稚園から帰ってきた息子にチョコあ〜んぱんあげたら、速攻食べてました。
あれ、欧米じゃなくて和食(和菓子?)もオッケーだったの!?
結果はブルボン様様、いつもありがとうございますっていう話です。
台所の収納問題①
シンガポールの台所はおかしいと思う
シンガポールに住んで早約11ヶ月。住みながら私、ずっと悶々としてました。
だってシンガポールの台所、めちゃくちゃ使いづらいんだもん…😭
台所をどう使えばいいか分からず、かつ主婦力の低さを周りに打ち明けられず、どうしていいかずっと悩んでいます。
悩みはやっぱり「収納力」の問題かなぁと思っています。
シンガポールにお住まいの皆さん、本当にどうしてるのでしょうか…
問題は私の家の場合3つあります。
①上の収納スペースがめちゃくちゃ高い所にある
上の収納スペースは物凄く豊富にあります。
ただし、位置が高すぎて届かない(泣)
160cm以上の所にあります。
私はチビなので、上の収納はほとんど機能してません。
じゃあ下の収納に置けばいいじゃんて話なんですが…
下の収納はほとんどないのです。
②下の収納スペースになぜか洗濯機
これを初めて見たとき、意味がわからなかったです。
台所と洗濯場所が共存してるなんて…そんな発想私はできません。
③食器棚を置くスペースがない
周りに食器棚を置いている方もいるんですが、うちの間取りの関係上、台所の動線に食器棚を置けません。
下の狭い収納スペースから取って出し、洗ってからまたしまう…←これが一苦労。
この前セールに浮かれて食器をいっぱい買ってしまったので、やっと重い腰を上げてやることにしました。
台所をDIYで収納を増やさなければ…
これから何とかしていきます。